AI人材は、採るより育てるほうが早い
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AI人材は、採るより育てるほうが早い

「AIを本気でやるなら、まず詳しい人を採ろう」。経営会議でよく聞く結論ですが、多くの会社にとってこれは遠回りです。理由は採用市場の厳しさでも、報酬水準の高さでもありません。外から来た専門知識は、受け止める側に自社の業務知識がなければ根づかない、という構造の問題です。本稿では、この現象を三十年以上前に定式化した経営学の古典を手がかりに、採用が効く条件と育成が効く条件を三つの質問で見分ける方法を示します。先に結論を言えば、多くの会社が今日開くべきなのは求人サイトではなく、社内の名簿です。

採用がうまくいかないのは、人選の失敗ではありません

AIに詳しい人を採用した会社で、繰り返し起きることがあります。入社した本人は優秀で、道具にも詳しい。ところが半年たっても目立った成果が出ません。導入の現場で繰り返し見てきたのは、AIに詳しい人が孤立し、業務に詳しい人が遠巻きに眺めている、という構図です。

原因は本人の能力ではありません。たとえば見積の自動化を頼まれても、その人は自社の見積の癖を知りません。どの案件で係数を上乗せするのか、どの顧客には過去の経緯による特別な条件があるのか。与信でも経理でも事情は同じです。判断の基準は熟練者の頭の中にあり、誰もそれを言葉にして渡せません。すると新しく来た人は「何を自動化すべきか」を誰にも教われないまま、汎用的な研修や資料づくりに回されていきます。問題は採った人ではなく、受け止める側にあるのです。

外の知識は、受け止める側に知識がないと根づきません

この構造には名前があります。経営学者のウェスリー・コーエンとダニエル・レビンサールが1990年の論文で定式化した「吸収能力(アブソープティブ・キャパシティ)」です。二人は、企業が外部の新しい知識の価値に気づき、消化し、事業に応用する能力を吸収能力と呼びました。そしてこの能力は、自社の内側に蓄積された関連知識の量に大きく左右される、と論じています。外の知識をどれだけ取り込めるかは、内側に既にある知識で決まる、という主張です。

元の論文は、企業(事業単位)の研究開発投資をめぐる議論でした。ただ、同じことは一社のAI導入という単位でも起きます。採用は「外部の知識を増やす」施策です。しかし受け止める側の器、つまり吸収能力を大きくする施策ではありません。器がないまま注いでも、知識はあふれて流れていくだけです。吸収能力の定義が「気づく」から始まっている点も見逃せません。業務を言葉にできる人がいない会社では、AIで何が変わり得るのかという価値の認識そのものが起きないのです。しかもAI導入における「関連知識」の中身は、AIの技術知識そのものよりも、自社の業務についての言語化された知識のほうがずっと大きいのです。

なお本稿は、育てた人を起点に社内へどう広げるかという定着の話ではありません。その手前にある「そもそも採るのか、育てるのか」という人材調達の意思決定の話です。また、既存記事「AIは外注して入れるものではなく自分で育てるもの」が扱った、開発(システム)を外に頼むか内でつくるかという議論とも違います。あちらが開発の内外の話だとすれば、本稿で扱うのは、あくまで人の調達の話です。

採用か育成かは、三つの質問で見分けられます

では、自社は採用から入るべきでしょうか、育成から入るべきでしょうか。次の三つの質問で見分けられます。

一つ目は「その課題は、自社の業務を知らなくても解けますか」です。社内ネットワークの整備、セキュリティ方針の策定、道具選定の助言。こうした仕事は業務知識がなくても成立するため、外部の専門家や経験者の採用が素直に効きます。逆に、見積・与信・受注処理といった日々の業務の改善は、業務知識が成果の半分以上を占めます。ここは育成側です。迷ったら「その仕事の成果物を、同業他社にそのまま持っていけるか」を考えてください。持っていけるなら外の知識で足り、持っていけないなら自社の知識が要ります。

二つ目は「採用した人に、業務を言葉で説明できる人が社内にいますか」です。いれば、外から来た専門家は通訳を得て機能します。いなければ、誰を採っても立ち上がりません。この場合、順番として採用より先に、業務の言語化に手を付けるべきです。

三つ目は「その能力は一時的に必要ですか、ずっと必要ですか」です。立ち上げ期だけなら、外部委託や顧問契約で足ります。日々の改善のように恒常的に必要なら、能力は社内に置くしかなく、答えは育成になります。三問のうち二問以上が育成側を指すなら、求人票を書く前に、社内で人を決めてください。

「素人を育てても専門家に届かない」という反論に答えます

ここで当然の反論が出ます。「素人を育てたところで、専門家の水準には届かないのではないか」。届きません。しかし、そもそも目指す場所が違います。多くの会社に必要なのは、モデルを研究する人ではなく、業務とAIをつなぐ接続者です。道具の側は急速に易しくなっており、技術の壁は年々下がり続けています。一方で、業務知識の壁は外からは登れません。契約書の確認をAIに任せる場面を考えてみてください。どの条項が自社にとって危ないかを知っているのは、過去に痛い目を見た社内の人だけです。下がり続ける壁と、外から登れない壁とを比べれば、どちら側に立つ人を起点にすべきかは明らかでしょう。

育成の最小投資は「業務を言葉にできる人×週数時間」です

では誰を育てるか。基準は肩書でも年齢でもなく、自分の業務を言葉にできることです。手順と判断基準を順序立てて説明できる人は、AIへの指示もうまくなります。そこに、新しい道具を面白がれる気質が加われば十分です。投資は週二、三時間から始められます。対象業務は一つに絞ってください。経理の月次資料の下書き、受注メールの転記、問い合わせ対応の一次案などが候補です。小さく確実に効く場所から始めるのが定石です。

「育成は時間がかかる」という反論にも答えておきます。採用には募集から入社まで数か月かかり、入社後にその人が自社の業務を覚える時間がさらに上乗せされます。業務を既に知る人がAIを覚えるほうが、合計では早く着地することが多いのです。しかも育成は、将来の採用を無駄にしません。むしろ逆で、社内に育った人がいて初めて、後から迎える専門人材は受け皿を得て機能します。吸収能力を先につくることは、いつか本当に採用へ踏み切る日のための投資でもあるのです。

まず三十分で、社内の名簿を開いてください

最初の一歩は三十分で踏めます。まず十分で、自社の主要な業務を五つ書き出し、それぞれの隣に「手順を言葉で説明できる人」の名前を書いてください。次の五分で、そのなかから新しい道具を嫌がらない人に印を付けます。残りの十五分でその人と話し、「週二時間、業務でAIを試す担当」を打診し、対象業務を一つだけ一緒に決めてください。予算の承認も、委員会の設置も要りません。打診した相手が乗り気でなければ、名簿の二人目に当たれば済みます。候補が一人も書けなかったなら、それ自体が重要な発見です。その会社に足りないのはAI人材ではなく、業務の言語化だと分かるからです。求人サイトを開くのは、この名簿を眺めたあとでも遅くないはずです。

採用をやめろ、という話ではありません。順序の話です。受け止める器を先につくれば、その後の採用も外部委託も、すべてが活きるようになります。次の経営会議で「AI人材をどう採るか」が議題に上がったら、問いを一つ差し替えてください。「うちの業務を言葉にできるのは誰か」。その名前から、育て始めてください。

(出典注:Wesley M. Cohen と Daniel A. Levinthal の論文 "Absorptive Capacity: A New Perspective on Learning and Innovation"(Administrative Science Quarterly, 35巻1号, 1990年, pp.128-152)。企業が外部の新しい知識の価値を認識し、消化し、事業に応用する能力を「吸収能力」と呼び、それが自社内の関連知識の蓄積に大きく依存することを、研究開発投資の分析を通じて論じました。概念自体は両氏の1989年の論文で提示され、この1990年論文で組織学習の理論として定式化されました。)