AIを最初に渡す相手は、エースではない
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AIを最初に渡す相手は、エースではない

「新しい道具は、まずエースに」。多くの経営者がそう考えます。一番できる人に持たせれば、一番大きな成果が返ってくるはずだ、と。しかし生成AIに関する限り、この直感は逆です。代表的な実験が示すのは、AIの恩恵が最も大きいのは、いま成果が出ていない人だという結果です。AIはエースをさらに強くする道具である以上に、組織の「底」を引き上げる道具です。だとすれば、何を導入するかと同じくらい、誰から配るかという順番の設計が投資対効果を左右します。本稿では、その根拠と、配る順番を決めるための実務的な判断基準を示します。

「まずエースに」という直感は、どこで間違うのでしょうか

この直感自体は、過去の道具については正しかったのです。表計算のマクロも、分析ツールも、使いこなす力に比例して効果が出る「天井型」の道具でした。上位者に渡せば天井がさらに上がり、下位者に渡してもほとんど何も起きません。だから優秀な人に先に配るのが合理的でした。

生成AIは、この前提を崩します。生成AIが提供するのは「平均的に良い仕事の型」だからです。報告書の構成や依頼メールの言い回し、調査で押さえるべき観点の網羅といった型を、AIは誰にでも即座に貸し出します。すでに自分の型を持つエースにとって、借り物の型の上乗せはわずかです。型を持たない人にとっては、仕事の水準がまるごと変わります。同じ道具でも、渡す相手によって効果の桁が違います。これが天井型の道具との決定的な差です。

実験が示したのは「格差の縮小」でした

この構図を最も明確に示したのが、Shakked NoyとWhitney Zhangが2023年にScience誌に発表した実験です。453名の大卒の職業人(マーケティング、人事、コンサルティング、助成金申請の書き手など)に、職務に即した文章業務を報酬つきで課し、半数だけにChatGPTを使わせました。結果、利用群は平均で所要時間が約40%減り、品質は約18%向上しました。

重要なのはその先です。改善幅が最も大きかったのは、もともと成績が低かった参加者でした。上位者も速くはなりましたが、品質の伸びは小さく、結果として参加者間の成績のばらつき、つまり格差が縮んだのです。AIは全員を少しずつ押し上げたのではなく、底を大きく引き上げて分布を圧縮しました。あわせて、利用群では仕事への満足感と「自分はやれる」という感覚も高まったと報告されています。底上げは数字だけでなく、働く側の手応えにも及ぶということです。

射程の限定も添えておきます。これは短時間で完結する文章業務を対象とした一回の実験であり、あらゆる仕事に一般化はできません。それでも「型を借りられる仕事では底が上がる」という構図そのものは、一社単位の導入でも同じように現れます。導入の現場で繰り返し見てきたのは、一番うまい人が突き抜ける瞬間ではなく、二番手以降が急に追いついて組織の空気が変わる瞬間でした。

底上げ型か、天井型か。三つの問いで見分けます

とはいえ、すべての業務で底が上がるわけではありません。配る前に、その業務が「底上げ型」かどうかを次の三つの問いで診断してください。

問い一。その業務の「合格ライン」を文章で定義できますか。見積の根拠説明、経理の月次報告、与信の一次調査メモのように、何が書けていれば合格かを言えるなら底上げ型です。定義できないなら、AIが引き上げるべき水準がそもそも存在しません。

問い二。担当者間の成果の差は、知識と型の差ですか。それとも関係や交渉力の差ですか。採用のスカウト文面の返信率の差が「書き方を知っているか」に由来するなら底上げ型です。一方、大口顧客との契約交渉の差は相手との関係に由来するため、型を配っても底は動きません。

問い三。誤りを、納品前の検証で捕まえられますか。チェックリストや上長確認で誤りを止められる業務なら、下位者に配ってもリスクは管理できます。経理の仕訳根拠の下書きは元帳と突き合わせれば検証できますが、口頭で即答する顧客対応は検証の機会がありません。捕まえられない業務は、順番以前に配り方の設計が必要です。

三つすべてに「はい」なら底上げ型です。その業務では、中位以下の担当者から配るのが最も投資対効果の高い順番になります。

「エースに配ればもっと伸びる」に答えます

当然の反論があります。上位者は道具の使い方もうまいのだから、エースに配ればさらに伸びるのではないか、と。実験の答えは「伸びるが、幅が小さい」です。エースはすでに高い水準にいるため、型の借り入れによる上乗せの余地が小さいのです。しかもエースの時間は既に組織で最も高く使われており、そこに投資を重ねるのは、最も混んでいる道路をさらに舗装するようなものです。

もう一つの反論も先に解いておきます。「成績の低い人はAIの誤りに気づけず、丸投げで品質が落ちるのではないか」。この懸念はもっともで、だからこそ先ほどの問い三が効きます。合格ラインが文書化され、検証の手順がある業務に限って配ることです。この条件を守る限り、底上げは丸投げに転びません。なお、AIの失敗がむしろ「そこそこできる仕事」で起きやすいという論点は、仕事の側の見極めの話です。本稿が扱うのは、効果が誰に出るかという人の側の配布戦略であり、両者は対になります。

順番を変えると、組織の何が変わるのでしょうか

底上げ型の業務で下から配ると、変わるのは平均値だけではありません。ばらつきが縮むこと自体に価値があります。受注書類の品質が担当者によって上下しなくなれば、上長の確認は軽くなります。与信調査の水準がそろえば、判断の会議は書き直しの指摘ではなく判断そのものに使えます。エースの時間は、部下の穴埋めから、エースにしかできない仕事へ戻ります。底上げは、実はエースを最も自由にする施策でもあるのです。逆に、エースだけがさらに速くなった組織では、仕事はますますその一人に集まり、属人化という別の経営リスクが濃くなります。

誤解のないように区別しておくと、これは「社内に広める起点となる人を誰にするか」という定着の話ではありません。定着の起点は影響力のある一人でよく、それは別の設計です。ここで論じたのは、道具の効果が誰に出るか、したがって誰に配れば数字が動くか、という話です。

まず三十分でできること

月曜の朝、部門長が一人でできる手順です。最初の十分で、自部門の定型アウトプット業務を十個書き出します。報告書、見積、調査メモ、社外向けの文面など、成果物が文章や資料の形をとるものが候補です。次の十分で、各業務に先ほどの三つの問いを当て、すべて「はい」の業務に印をつけます。最後の十分で、印のついた業務のうち担当者間の出来のばらつきが最も大きいものを一つ選び、その業務の中位以下の担当者二名を最初の配布先に決め、合格ラインを一枚にまとめる係を指名します。処遇の角が立たないよう、配布の名目は「人」ではなく「この業務にAIを入れる」という業務単位にしてください。

結び:配る順番が、投資対効果を決めます

生成AIを、エース向けの武器としてではなく、組織の標準を引き上げる装置として扱ってください。底上げ型の業務を三つの問いで特定し、ばらつきの大きい業務から中位以下の担当者へ配り、合格ラインを文書にしてください。この順番なら、同じライセンス費用でも動く数字が変わります。エースを強くする方法なら、御社はすでに知っているはずです。まだ試していないのは、底を上げる方法のほうです。

(出典注:Shakked Noy and Whitney Zhang, "Experimental evidence on the productivity effects of generative artificial intelligence", Science, 2023。453名の大卒の職業人に職務に即した文章業務を課し、半数にChatGPTを使わせた実験です。平均で所要時間が約40%減・品質が約18%向上し、もともと成績の低い参加者ほど改善が大きく、参加者間の格差が縮小したことを報告しています。)